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高槻・初夏の散策コース①:高槻市内を一望できる「安満コース」をご紹介します。

高槻市観光協会(たかつきマルマルナビ)では、11の地域の散策コースをご案内しているのですが、本日は、ちょっとしたハイキングを楽しめる「安満コース」をご紹介します。

このコースは、安満遺跡、安満宮山古墳という高槻の中でも有数の古代スポットをメインに、その周りの歴史的スポットを訪ねていただこう!というコースです。クライマックスとなる安満宮山古墳(あまみややまこふん)は、上写真の場所なのですが、山の中腹で見晴らしの良い場所にあります。高槻周辺の市街地まで大阪市内まで一望できますし、天気の良い日には遠くの山々まで見渡せて、とても爽快な気持ちになるスポットです。

ちなみに、安満宮山古墳には、邪馬台国の卑弥呼が中国・魏(ぎ)から贈られたともみられている青銅鏡が発掘され、古墳は築造当時の姿に復元整備されています。5面の青銅鏡のレプリカも現地でご覧いただけますので、古代ファンの方々はもちろん、みなさまにぜひ足を運んでいただけたらと思います。
※安満宮山古墳は高槻市公園墓地内にあります

※高槻には地元をこよなく愛する人々が運営する「高槻ボランティアガイド」という組織があります。高槻の名所が詰まった散策モデルコースの歴史案内、自然豊かなハイキングコースの案内を行っています。ガイドの話を聞きながら歩くと、またひと味違った散策が楽しめますので、ぜひご利用ください。

安満コース

所要時間:約3時間40分~
距離:約7km
Web:https://www.takatsuki-kankou.org/model-course/ama.html

安満遺跡公園(あまいせきこうえん)

1928年の京都大学附属農場建設の際に発見された東西1200m、南北300mの弥生時代の環濠集落跡です。現在は発掘調査を終えて、国宝級の歴史資産である弥生時代の安満遺跡を保存・活用する公園として、また「市民とともに育てつづける」をコンセプトに公園整備が進められています。2019年3月に一次開園し、来年2021年3月に全面開園予定です。(遺跡で見つかった出土品などの展示室も、来年公開予定となっています。)

現在、開園した場所には、子どもたちに大人気のボーネルンド Park Centerをはじめ、ランチやディナーを楽しめるピッツェリア&カフェ「SUNDAY‘S BAKE 569」があり、高槻市民の新しい憩いの場となっています。

磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)

かつては安満神社と称され、12世紀頃にタケミカヅチノミコトなどを祭神とし春日大社に改名、明治44年(1911年)に現在の社名となりました。社頭の森は「磐手の杜」と呼ばれ、歌枕としても名高い場所です。毎年1月15日にはその年の豊凶を占う「粥占い」、5月5日には稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事」など伝統の祭りを今日まで守り伝えています。

安満宮山古墳(あまみややまこふん)

安満宮山古墳は一辺20メートルほどの長方形墳で、眼下に大阪平野を一望する安満山の中腹にあります。3世紀後半、邪馬台国の時代に築造されたと考えられ、中国・魏の年号「青龍三年(235)」が記された銘鏡や三角縁神獣鏡(さんかくぶち-しんじゅうきょう)を含む青銅鏡5面、スカイブルーのガラス小玉1,600個余り、鉄刀・鉄斧などの貴重な遺物が出土されました。青銅鏡は中国の魏から邪馬台国の女王卑弥呼に贈られた「銅鏡百枚」の一部ともいわれており、ここに葬られた人物(おそらく安満遺跡のリーダー)は当時の政権にあって重要な役割を果たしたともみられています。埋葬部分は、透明な板でおおわれていて、真上から見下ろすことができます。穴の中は、人の形がロープで示されているほか、青銅鏡や刀・斧が出土した様子がわかりやすく展示されています。
※古墳跡は高槻市公園墓地内にあります

金龍寺跡(こんりゅうじあと)

金龍寺は、790年(延暦9年)阿部朝臣兄雄(あべのあそんあにお)が創建し、平安時代に活躍した天台宗の僧・千観が「日想観(落ち日を見て極楽浄土を想う信仰)の地として再興した天台宗の寺院。豊臣秀吉の時代には、花見や茸狩りの名所として親しまれた寺で、1796年(寛政8年)刊行の「摂津名所図会」には境内に桜が咲く寺として描かれています。明治時代には無住となり、昭和59年の火災で焼失しましたが、石垣や礎石が残っています。

春日成合神社(かすがなりあいじんじゃ)

天照大神を祭神とし、現在も「宮座」によってさまざまな神社の行事が営まれています。1920年(大正9年)まで「雨乞神事(あまごいしんじ)」が行われ、その祭具は市の有形民俗文化財に指定されています。

伝能因法師墳(でんのういんしふん)

能因塚の名で親しまれる伝能因法師墳は、平安時代の歌人、能因法師の墓と伝えられています。伊勢姫の作風を慕いつつ、当時の歌道の第一人者であった藤原長能(ふじわらのながとう)に学び、各地を旅して優れた作品を残しました。墳墓正面の顕彰碑は高槻藩主永井直清(ながいなおきよ)が建てたものといわれ、市の史跡に指定されています。

上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)

菅原道真を祀り、太宰府に次いで2番目に造営されたという古い由緒を伝えています。道真の霊を鎮めるため正暦4年(993年)に太宰府に赴いた天皇の勅使がこの地で牛車が動かなくなる異変に合った際、菅原氏の祖先とされる野見宿弥(ノミノスクネ)の所縁の地であることを知り、ここに道真を祀ったといわれています。

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