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高槻・夏の散策コース①:住宅街の中の旧道・古社をゆく「西国街道(芥川宿)コース」をご紹介します。

高槻市観光協会(たかつきマルマルナビ)では、11の地域の散策コースをご案内しているのですが、本日は、住宅街の中を歩きながら史跡をめぐる「西国街道(芥川宿)コース」の見どころをご紹介します。

この記事をご覧になっている方の中にはご存知の方も多いかと思いますが、西国街道(さいごくかいどう)は、京都から淀川右岸の大山崎、高槻などを通り、西宮で中国街道(山陽道)と交わるまでの道(約64km)をいいます。その先は、下関、九州まで続き、古くから重要な幹線道路であり、大宰府へ向かう防人や菅原道真、関白の藤原頼通らも通ったといわれています。(古くは山陽道と呼ばれました。)

この散策コースでは、最初に、JR高槻駅の北側に残る西国街道を訪ねますが、このエリアは江戸時代、宿場町として栄えた場所(芥川宿と呼ばれます)。いわゆる住宅街になっていますが、当時の面影を残す白壁や格子窓のある家も見られ、その昔、武士や旅人でにぎわったことを偲ばせます。

芥川宿を見学した後は、西国街道まわりにある古社めぐりです。今から1000年以上も前、平安時代頃に創建されたといわれる歴史のある寺社が多いので、歴史ファンの方は、その史実を知ったり、古の人々に思いを馳せたりするのにもぴったりです。また、この西国街道コースは、てくてく歩いていると街の小さな飲食店にも出会えますので、自分のペースに合わせてひと休みしながら散策するのもオススメです。

※高槻には地元をこよなく愛する人々が運営する「高槻ボランティアガイド」という組織があります。高槻の名所が詰まった散策モデルコースの歴史案内、自然豊かなハイキングコースの案内を行っています。ガイドの話を聞きながら歩くと、またひと味違った散策が楽しめますので、ぜひご利用ください。

西国街道(芥川宿)コース

所要時間:2時間35分
歩行距離:約12km
Web:https://www.takatsuki-kankou.org/model-course/saigokukaido.html


芥川一里塚(あくたがわいちりづか)

8世紀の山陽道の後身にあたる西国街道(さいごくかいどう)は、約8.1kmにわたり市域を東西に貫いています。一里塚は1里(約4km)ごとに街道の両脇にありますが、当時はエノキの木を植えられ、道行く人々の目印とされていたそうです。高槻市内ではここ旧芥川宿東口の東側だけが残り、府の史跡にも指定されています。

清福寺太子堂(せいふくじたいしどう)

間口一間四方の宝形づくりの建物で、堂内には少年聖徳太子像が納められています。聖徳太子は昔から大工の始原神としてあがめられており、現在でも大工仕事の繁栄が祈願され、職人たちの結束をかためる象徴的存在とされています。現在の堂は、明治2年(1765年)に建立され、太子堂は高槻市の有形文化財にも指定されています。

素戔嗚尊神社(芥川廃寺)(すさのおのみことじんじゃ(あくたがわはいじ))

創建の年代は不詳だが、古くは神郡社と称していたようです。ここは奈良時代の寺跡(芥川廃寺)と見られており、境内にある手水鉢(ちょうずばち)はその塔心礎(とうしんそ)とされています。かつては塔がそびえ、堂々たる金堂(こんどう)が建てられていたと推測されています。

阿久刀神社(あくとじんじゃ)

10世紀に編纂(へんさん)された「延喜式神明帳(えんぎしきじんみょうちょう)」にも記されている式内社です。住吉大神を祀ることから住吉神社とも呼ばれており、明治維新後には諏訪神社、大将軍社などが境内社として移築されました。社名は「新選姓氏録(しんせんしょうじろく)」にある豪族・阿刀連(あとのむらじ)に由来するという説があります。

霊松寺(三好義興の墓)(れいしょうじ(みよしよしおきのはか))

8世紀中頃に行基(ぎょうき)が開創したと伝えられています。境内には三好長慶の嫡男で芥川城城主であった三好義興(みよしよしおき)の自然石墓「三好のカンカン石」があります。寺内外には室町から江戸期にかけての歴代高槻城城主の墓があるなど、高槻にとって縁が深い場所です。

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