高槻の見どころ(とその周辺)を実際に歩いてレポートする「たかつき散歩」。今回は、富田(とんだ)エリアに行ってきました。
富田(とんだ)といえば、JR京都線には摂津富田駅、阪急京都線には富田駅があるので、沿線にお住まいの方、大阪京都間を移動される方には馴染みがあると思いますが、初めて目にした方は最初、「とんだ、って読むんだ…」と驚かれる珍しい地名ですよね。
その名の由来は諸説あるようですが、かつてこの地にあった皇室の御料(ごりょう※)農地である「屯田(とんでん)」に由来するという説が有力なのだそう。
※御料とは、天皇や皇室、将軍などの貴人が所有する物や使用する品々、直接管理した直轄地などを指す敬称。
学術調査によれば、富田は弥生時代以前から台地であり(高槻市内では唯一の台地)、昔から良質な地下水に恵まれていたといいます。実際、江戸時代には、富田は高槻で最も石高(こくだか:お米の収穫量)が多く大部分が幕府領(天領)だったこと、また、最盛期には24軒の酒蔵があり大阪有数の酒どころだったと聞けば、その由来にもうなずけます。
現在は、駅周辺を中心に発展している富田ですが、かつては阪急富田駅より徒歩10分ほど南方にある筒井池(つついいけ)を中心にまちが広がっていました。今回巡ったのは、この筒井池にほど近いお寺や神社です。実は、富田は酒どころとして知られる前、室町時代中期より寺内町(じないまち)として発展したまちで、当時に建てられたお寺や神社が残っているんです。今回は、お寺や神社を巡りながら歴史についてもご紹介していきますね。
今回巡ったスポットはこちら
筒井池(つついいけ)・筒井池公園
かつて富田のまちの中心にあった筒井池は、富田の広大な田んぼを潤し、酒づくりを支えてきた重要なため池でした。その重要性を表すかのように、江戸時代の絵図(えず)には池が大きく描かれており、当時は、池の南北に500軒の町屋が連なり、2000人が暮らしていたという記録も残っています。
長く大切にされてきた筒井池ですが、時代が移り変わり高度経済成長を迎えると、池としての役割を終え、昭和40年代(1965年〜1974年)に大半が埋め立てられました。その埋め立てられた跡地に整備されたのが、下写真の筒井池公園です。(公園の横にある富田支所、コミュニティセンターも池の跡地に建てられたそうです。)
公園の左手に見える大きな建物は本照寺(ほんしょうじ)。筒井池が埋め立てられる前はその姿が池に映り込み、絶好の撮影スポットになっていたといいます。
筒井池公園は道路をはさんで2つに分かれており、地元の子どもたちの遊び場となっている公園(上写真)と、池の名残を感じられる公園(下写真)があります。
どちらの公園にも桜の木があり、春になると、地元の方々でにぎわいます。(筆者が訪れたときには、広場のある公園ではご家族がシートを広げてお花見を楽しんでいる様子が見られました。)池のまわりには、カワヅサクラ(河津桜)やソメイヨシノ(染井吉野)、シダレザクラ(枝垂桜)など5種類の桜が見られるのも特徴。桜が好きな方は、おすすめしたいスポットです。
関連記事:
ソメイヨシノにオオシマザクラ、5種類の桜が見られる「筒井池公園」
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ところで、公園の周辺には、下写真のように「高槻まちかど遺産」という高槻の文化財や歴史を紹介する小さな説明板がいくつかあります。説明板からはそれぞれ、公園の南東隅にある水門跡のことや、池の近くにお屋敷のあった江戸時代の豪商の話が読めます。
先にご紹介したGoogle Mapには、説明板のある場所もマークしていますので、筒井池まわりの歴史にご興味のある方はぜひご覧ください。
本照寺(ほんしょうじ)
では、ここからは筒井池周辺にあるお寺や神社を紹介していきたいと思います。最初に訪れたのは、筒井池公園に隣接するお寺、本照寺です。

本照寺は、室町時代前期にあたる1427年(応永34年)に創建された浄土真宗本願寺派(本山は西本願寺)のお寺。もともとは光照寺と称されましたが、1646年(正保3年)、本願寺第13世宗主の良如(りょうにょ)より「富田御坊(とんだごぼう)」の印を与えられたことをきっかけに現在の名に改められ※、摂津地域における一大拠点として栄えました。
※名を改めるきっかけは、良如の弟・円従(えんじゅう)が光照寺に入寺したことにあります。良如みずから「富田御坊」の印を与え、本願寺の一字をあてて本照寺と改めたのだそう。ちなみに、良如は西本願寺に僧侶の教育機関として学寮(学林)を創設したことでも知られ、この学寮がのちに龍谷大学へと発展しました。
現在の本堂は1798年(寛政10年)に再建されたもので、山門や東門、鐘楼(しょうろう)とともに市の有形文化財に指定されています。また、かつては境内に国の天然記念物にも指定され、境内を覆うほど立派に枝を広げていた樹齢約700年の「富寿栄(ふすえ)の松」も見所だったそうです。
残念ながら、1968年(昭和43年)に枯れてしまいましたが、今でも境内には切り株(2メートルはあろうかという大きな切り株です!)や、当時の枝を支えた石柱が残されています。現在はその子孫にあたる松が元気に育ち、当時の面影をいまに伝えています。
境内に育つ若々しい松の木。
お寺の南側の山門前にある、かつて「富寿栄の松」を支えた石柱。「高槻まちかど遺産」の説明板には富寿栄の松があった頃の写真が見られます。
出世地蔵(しゅっせじぞう)
本照寺の山門を出たあと、近くにある三輪神社(みわじんじゃ)に向かったのですが、その道中には、高槻ではお馴染みのお地蔵さんの姿も見られました。
もともとは三輪神社の中にあったようですが、明治時代の神仏分離により神社の外に出されてしまい、昭和50年代(1975年〜1984年)になって、三輪神社の外ながら塀に面する現在の位置に安置されたそうです。
筆者は、明治(神仏分離令は1868年発令)から100年近い年月を一体どこで過ごしたのだろう…と驚きつつも、大事に守ってこられた方々を思うと、なかなか希少なお地蔵さんに出会えたという気持ちになりました。
三輪神社(みわじんじゃ)
富田のまちのシンボルといわれることもある三輪神社は、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)から「酒造りの神様」である大己貴命(オオナムチノミコト)を勧請(かんじょう)※したと伝えられ、江戸時代初期に24軒もの造り酒屋が軒を連ね大いに栄えた富田のまちでは厚い信仰を集めた神社です。
※勧請とは、神仏の来臨を願うこと、または神仏の分霊を他の場所へ移して祀ること。
一方で、神社に残る奉加帳序(ほうがちょうじょ)や棟札(むねふだ)によると、1639年(寛永16年)にすぐ近くにある普門寺(ふもんじ)の龍渓禅師(りゅうけいぜんじ)により再興されたとされ、もともとは普門寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)といわれたり、さらには、この地の人に古くから信仰された富田村の産土神(うぶすながみ)※といわれることもあるそうです。
※産土とは生まれた土地という意味で、その土地を守護してくれる神さまのこと。
境内には、江戸時代につくられた建物や石造物(灯篭や狛犬)が残り、社殿、絵馬所などは高槻市の有形文化財にも指定されています。
なお、三輪神社は富田の桜スポットとしても知られており、毎年開かれるさくら祭りは風物詩となっています。今年のさくら祭りは、先ほどご紹介した本照寺の「はなまつり」と同日開催され、三輪神社では地元・富田酒や甘酒がふるまわれ、多くの人でにぎわったそうです。
筆者が三輪神社を訪ねて驚いたのは、境内の中に、厳島神社や金比羅神社、稲荷神社、春日社など、全国の著名な神社の小さな社(やしろ)があったこと。これは境内社(けいだいしゃ)、摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)と呼ばれるものですが、多くの神様を同じ場所でお祀りすることで、より強力なご利益を期待し信仰されてきたことを伝えているそうです。
三輪神社のことを知れば知るほど、この地域で暮らす人々に長きにわたって大切にされてきた、まさに富田のまちのシンボルといえる神社だと感じました。
普門寺(ふもんじ)
三輪神社のお話の中にちらと出てきましたが、三輪神社の隣にある普門寺は、国の重要文化財に指定された建物や庭が今も大切に残されている名刹です。予約制のお寺のため、今回の散策では立ち寄っていないのですが、本当に見どころの多いお寺なので、3年前、筆者が「沙羅双樹(夏椿)」を見に訪ねたレポートをあらためてご紹介します。
関連記事:
朝に咲き夜に散る「沙羅双樹(夏椿)」が見られる「普門寺」をご紹介します。
https://www.takatsuki-kankou.org/info/2790/
教行寺(きょうぎょうじ)
三輪神社から住宅街の中を5分ほど歩いたところにある教行寺は、日本全国で「応仁の乱」が激化していた室町時代中期、1476年(文明8年)頃に本願寺第8世宗主の蓮如(れんにょ)※ によって創建されたと伝えられる浄土真宗大谷派(本山は東本願寺)の古刹です。
※蓮如は、親鸞(しんらん)が開いた浄土真宗を、日本最大の仏教教団へと飛躍的に発展させたことから「中興の祖」と称されています。
かつては「富田道場」と呼ばれ、富田の寺内町の中心であり、北摂地域における一向宗(浄土真宗)の熱心な布教活動の拠点として隆盛を極めましたが、1532年(天文元年)の武士による一向宗弾圧で、富田道場や信徒の家々が焼き打ちにあったといいます。それでも、蓮如をはじめ信徒は焼き討ちに屈せず、4年後の1536年(天文5年)に再建。その際、蓮如は親鸞が著した「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」を書写し、そのことから教行寺と呼ばれるようになったといわれています。
先にご紹介した「富田御坊」と呼ばれた本照寺とは対照的に、教行寺は住宅街に佇む小さなお寺ですが、富田寺内町の歴史の重要スポット。歴史散策の際はぜひ足を運んでいただけたらうれしいです。
今回のレポートはここまでとなりますが、いかがでしたでしょうか。写真でご紹介することはかないませんが、散策の道中で、江戸時代の町家の名残りを感じられるような家(たとえば、虫籠窓(むしこまど)や木格子窓のある家)や石の道標もところどころで見かけ、歴史散策気分を味わえました。もし訪れることがありましたら、お寺や神社だけでなく、そんなまち並みも楽しんでいただけたらと思います。
















