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高槻・秋の散策コース①:住宅街の文化跡を訪ねる「古曽部コース」をご紹介します。

まだまだ暑い日もありますが、朝晩は涼しく、少しずつ秋めいてきましたね。本日は、高槻市観光協会(たかつきマルマルナビ)がご案内している11の散策コースから、芸術の秋にふさわしい「古曽部(こそべ)コース」をご紹介します。

これまで、西国街道(芥川宿)コースや、城下町コース今城塚コースなどで、さまざまな史跡をめぐるコースを紹介してきましたが、この古曽部コースでは、平安時代の史跡を中心に周遊します(百人一首の歌人2人のゆかりの地があります)。高槻でも古くからの住宅エリアなので、立ち並ぶ家に昭和の雰囲気があったり、車が入れないような狭い道があったりするのですが、そうしたエリアの魅力も含めて、ぽつりぽつりと史跡を楽しんでいただけたらと思います。

※高槻には地元をこよなく愛する人々が運営する「高槻ボランティアガイド」という組織があります。高槻の名所が詰まった散策モデルコースの歴史案内、自然豊かなハイキングコースの案内を行っています。ガイドの話を聞きながら歩くと、またひと味違った散策が楽しめますので、ぜひご利用ください。

古曽部コース

所要時間:2時間30分
歩行距離:約10km
Web:https://www.takatsuki-kankou.org/model-course/kosobe.html

上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)

太宰府に次いで全国で2番目に古い天満宮とされ、高槻市民には「てんじんさん」と呼ばれ親しまれている神社です。社伝によると、993年(正暦4年)道真の霊を鎮めるために太宰府に赴いた天皇の勅使が、この地で牛車が動かなくなる異変が起こり、この地が菅原氏の祖先とされる野見宿弥(ノミノスクネ)の所縁であることを知って、道真を祀ったことがはじまりといわれます。(実際、高槻には野見宿弥を祭神とする野見神社があります。)

上宮天満宮は駅前から10分ほど歩いた場所にあり、階段を上ったところにあります。

伊勢寺(いせじ)

金剛山象王窟(こんごうさんしょうおうくつ)として曹洞宗に属し、聖観音を本尊とする寺院です。三十六歌仙の一人で平安中期の女流歌人、伊勢姫が晩年を過ごした草庵跡に建立されたといわれており、本堂西側には伊勢廟堂(いせびょうどう)が建ち、境内には、伊勢姫の代表作の歌が刻まれた句碑もあります。

伝能因法師墳(でんのういんほうしふん)

能因塚の名で親しまれる伝能因法師墳は、平安時代の歌人、能因法師(のういんほうし)の墓と伝えられています。能因法師は、伊勢姫の作風を慕いつつ、当時の歌道の第一人者であった藤原長能(ふじわらのながとう)に学び、各地を旅して優れた作品を残しました。墳墓正面の顕彰碑は高槻藩主永井直清が建てたものといわれ、市の史跡に指定されています。

不老水(ふろうすい)

百人一首にも詠まれる能因法師は、この地を拠点に詩作に耽ったといわれています。晩年、老いを知った能因法師が不老不死を願って煎茶に使用したといわれているのがこの名水の井戸です。飲用にこそできませんが、現在でもその水は湧き続け、古き歌人の面影を偲ばせています。

花の井(はなのい)

能因法師が使用していたと伝わる井戸で、日常生活を送るための水を得ていたとされています。別名「山下水(やましたみず)」とも呼ばれ「あし引きの 山下水に影みれば 眉しろたへに我老にけり」という能因法師の歌中に詠まれています。

住宅街の中にありますが、近くに案内柱があります。

古曽部窯跡(こそべかまあと)

江戸時代後期から明治時代末にかけて、古曽部町の五十嵐4代の陶工が営んだ地方窯跡です。その作は「古曽部焼」として庶民はもとより、茶人や文人にも愛されました。力強い初代、民芸的な2代など違いはありますが、その作風は全体的にひなびた味わいがあり、特に茶器は京阪の文人に珍重されています。

昼神車塚古墳(ひるがみくるまづかこふん)

上宮天満宮参道のすぐ東側に位置する前方後円墳で、全長60m、後円部は直径30mあります。前方部の発掘調査では、イノシシやイヌ、角笛を持った狩人など珍しいハニワが出土されました。現在、前方部が復元整備され、発掘当時の様子も復元展示されたハニワから伺うことができます。

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